タイトル通りの、本だった。
小学5年生の“えだいち”が、おじいさんの家で暮らすようになり、そこで過ごす夏休みを描いたものだ。
無口なおじいさん、小さな子どもを迎えて、戸惑うけれど嬉しくないわけでもなくて、なんとなくハイジのおんじみたい。
クラスメイトの押野くんもいい。
情けない私は、読み始め、この押野くん、なんかグレイっぽいなぁ、などと、実にくだらないことを思うのだ。
そんな疑いの気持ちも次第に消されていき、彼もまた、えだいちクンとともに、キラキラした季節を体いっぱいに浴びていく。
私の思い出はどちらかというとおばあちゃんだ。
我が家は穏やかな系統なのだが、このおばあちゃんだけは結構はっちゃけていた、と思う。
おじいちゃんも、父も母も飲まなかったが、お酒が好きだったし、酔っ払って帰ってきた事もあった。
人のよくないところを、その人を前にして、歯に絹着せぬ物言いで言ったりもした。
なので、けむたがられたりもしていたようだ。
成績がちょっと良くなったときにも、関心がないようで誉めてもらえなかったし、私のよくないところをズバッと言い当てられ、つかの間落ち込んだりもした。
一緒に住んでいたけれど、今で言う2世帯っぽく暮らしていたので、ご飯はいつも別々だった。
私はおばあちゃんのところで食べるご飯が大好きだったけれど、好き嫌いが多かったから、母によくストップをかけられた。
おばあちゃんが私の好きなものしか出さないから。
鳥が好きで、九官鳥とか、インコとか、十姉妹とか、どこからかもらってきては次から次へ飼っていた。
おばあちゃんが亡くなったとき、たくさんの人が来てくれて・・・働き者のおばあちゃんはずっと、飲食店の厨房で、ご飯炊きや洗い物の仕事をしていたのだ・・・その中には若い人たちもたくさんいたのだが、泣いている人やいつまでも顔を覗き込んで帰らない人が多くて、高校生の私はちょっとびっくりした。
おばあちゃんは、私のおばあちゃんだけじゃなくて、いろんな人のおばあちゃんだったのだなぁと。
わがままな子どもだった私におばあちゃんが言った事がある。
人に優しくするのは自分のためじゃない。
でもその行為は、めぐりめぐって自分の子や孫や、自分が大事に思っている誰かのところに戻ってくる。
おばあちゃんらしい、と思うし、大切にしようと思う。
保育園の時、小さな妹がいたので、母は一緒に遠足に行かれず、代わりにおばあちゃんと行った。
アルバムに残る、大きな口をあけておむすびを食べる、笑ったおばあちゃんが大好きだ。
そんな事をぽつりぽつりと思い出しながら、読んだ。
しずかな日々はだれにでもある。
それは本当に地味でささやかなんだけど、なぜか涙が出てしまうこともある。
『しずかな日々』 椰月美智子 講談社文庫